大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1251号 判決

控訴人

黒崎享

控訴人(選定当事者)

宮崎忠太郎

当事者(選定者)

(旧姓宮崎)

作永フジ子

宮崎トヨ

(旧姓宮崎)

西連地弥一郎

右両名訴訟代理人

源光信

奈良道博

被控訴人

国際協力事業団

右代表者総裁

有田圭輔

右指定代理人

石川達紘

外一名

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人(以下「控訴代理人」という。)は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人黒崎享に対し一三一一万六四三四円、同宮崎忠太郎に対し一一五九万五九五一円、選定者作永フジ子、同宮崎トヨに対し各二七万六〇〇〇円、同西連地弥一郎に対し三四万四〇〇〇円及びこれらに対する昭和四二年一一月二五日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決と仮執行宣言とを求め、被控訴人代理人(以下「被控訴代理人」という。)は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の、事実上の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次に付加し、改めるほか、原判決事実摘示〈中略〉)と同一(添付の「書証目録」及び「土壌分類表」を含む)であるから、これを引用する。

一  控訴代理人は次のとおり述べた。

1  さきに引用した請求原因三項(原判決五枚目―記録五一丁―表九行目から末行まで)を次のとおり改める。

(一)  被控訴人は、昭和四九年八月一日同年法律第六二号に基づいて設立された特殊法人であり、その設立と同時に解散した海外移住事業団(以下「事業団」という。)の権利義務一切を承継した。

(二)  事業団は、昭和三八年七月一五日同年法律第一二四号に基づいて設立された特殊法人であり、その設立と同時に解散した財団法人日本海外協会連合会(以下「海協連」という。)及び日本海外移住振興株式会社の権利義務の一切を承継した。

2  さきに引用した請求原因六のうち、原判決八枚目―記録五四―一丁―裏五行目「海協連の行為は不法行為を構成する。」とあるのを「海協連は以下のとおり不法行為による損害賠償責任を負う。」と改め、同六行目から、原判決九枚目―記録五四―二丁―裏末行「負うべきである。」までを次のとおり補正する。

(一)  海協連の不法行為

海協連は、その寄附行為において、移住受入団体との連絡、提携、移住者の募集、選考、訓練、講習、輸送、定着、渡航費の貸付等の指導援助をすることを目的とし、その目的のために海外移住地の調査、選定をなし、それに基づいて募集要領等を作成し、これを配布して移住希望者の募集、選考等の業務を行つていたものであり、その業務は海協連の代表機関(理事)がその権限として行つていたのであるから、右募集業務に関し海協連は民法四四条一項の不法行為責任を負うべきところ、海協連は、右募集業務に関し、故意若しくは過失のある次の行為により海協連作成の「ブラジル国リオ・グランデ・ノルテ州プナウ植民地移住者募集要領書」(以下「本件要領書」という。)をもつて、控訴人らをしてプナウ植民地が、同募集要領書に記載のとおり払い下げを受けられる農業適地であると誤信させて入植させ、よつて先に引用した原判決請求原告七2記載のとおりの損害を控訴人らに与えたもので、その損害を賠償する責任がある。

(1) 事前調査の不十分

海外移住の遂行にあたつては、それが移住者の全人生を左右するものであると同時に、移住の可否を決定するためにも、専門家による長期間の十分な事前調査を必要とし、移住地の社会、経済、政治の状態、土地、気象、農耕条件などの自然条件のほか生活環境、市場、資金、入植条件など移住者が移住するについて必要な一切の事由を対象として、徹底的かつ正確な調査が要求される。

ところが、本件募集要領書に基づくプナウ植民地の移住者募集(以下「本件募集」という。)について、海協連は、農業経験すら有しない駐ブラジル大使館勤務の藤勝一等書記官及び農林省杉研究企画官が、各一日ないし二日間行つた調査と海協連リオデジャネイロ支部長大谷晃(以下「大谷」という。)が作成したプナウ植民地移住者募集要項のみに基づいて植民地移住計画を立案しその募集をした。

(2) 募集時における情報提供の欠如

移住希望者にとつて、目的地に関する情報、知識及びその資料はそのすべてを海協連に依存するのほかないから、海協連は、募集に際して、資料を提供し、説明会を実施するなどして、移住希望者に対して、情報収集の機会を提供すべき義務がある。

しかるに、海協連は、移住希望者に対して、本件募集要領書を配布したのみでその他の資料を提供しなかつたばかりでなく、説明会すら実施せず、募集を担当した職員に対して担当植民地について教育を施さなかつたため、右職員は植民地の内容について全く知識を持たなかつた。

その結果、控訴人らは、本件募集の段階において、プナウ植民地に関する十分な説明と知識が得られないまま、募集要領書の内容のみを手掛りとして移住を決意するのほかなかつた。

(3) 募集要領書における不実記載

(イ) 入植地払下げについて

本件募集要領書によると、プナウ入植者に対しては、一世帯につき低地7.5町歩、高地4.5町歩の土地が二年間据置、八年払いの条件で払い下げられるとされていた。しかるに、実際には、控訴人らは、プナウ植民地入植後二年以上も低地五町歩の耕地を割当てられた状態が続いたうえ、昭和三七年には、経営主体がブラジル国リオ・グランデ・ド・ノルテ州政府(以下「ノルテ州政府」という。)からピオ一二世財団に変更され、同財団は入植者に対し、一世帯当り低地、高地各五町歩を譲渡禁止の条件付で贈与することに方針を変更し、昭和四四年になつて漸く右贈与が履行された。右の原因が、経営主体の変更に基因するとしても、経営主体の変更が生じるまでには、募集要領書作成以来三年、控訴人ら入植後二年以上を経過し、その間の入植地の割当てが募集要領書の記載と相違していたことは明らかなところであり、更に、かかる入植地の割当ての不履行、経営主体の変更は、経営主体であるノルテ州政府の方針、計画の実情、植民地経営の実体、将来性等に関する調査を尽すことにより、募集要領書作成の段階において十分に察知し、予見することができたものである。入植希望者にとつて、入植地が払下げによつて自己の所有となるか否か、当初予定をされた通りの地積が割当てられるか否かは、移住を決意するに際し最も重要な事項であるから、海協連としては、本件募集要領書作成に当り、十分に調査する義務があるところこれを怠つた結果、その記載と割当ての実際とに前記のとおりの齟齬を生じた。

(ロ) 耕作条件について

本件募集要領書によると、プナウ植民地の低地は、有機質に富む黒色の沖積土で、土層は三ないし五メートル、PH5ないし5.5であり、高地は、砂質土壌で肥沃でないと記載されている。右の記載によると、プナウ植民地の低地は、肥沃で排水も容易であり農耕適地であると判断される。

しかるに、プナウ植民地は、低地は湿地帯で、土壌は泥炭土であり、排水性が悪く、年々沈下するなど、農耕適地には程遠い実情であつた。

(ハ) 営農方針

本件募集要領書によると、プナウ植民地における営農方針は、低地五町歩を米作に当て、これを営農の根幹とし、その余の低地はバナナ、蔬菜類、豆類とすると記載されてある。

しかし、前記の土壌及び排水性に照らし、プナウ植民地の低地は、稲作及びバナナの栽培に適せず、いずれも採算のとれるものでないのが実際であつた。また蔬菜類については、ある程度の収穫は得られても、市場であるナタール市の住民は、あまり野菜を食する習慣がないため、市場性のある作物は、トマト、メロンに限られ、しかも、同市を共通の市場とするビウン、プナウ両入植地の入植者が共存できる程の需要はなかつた。

(二)  使用者責任

仮に、海協連自体に故意、過失がないとしても、海協連の被用者であつた、大谷晃(海協連リオデジャネイロ支部長)は、プナウ植民地が、前記のとおり、実際には農業に適さない悪条件であるにかかわらず故意に、そうでないとしても、同植民地の土壌、排水路の機能及び実効性を十分調査しなかつた過失により、低地の土壌は酸性五、六度の腐植土で農業適地であり、排水路は一応完成し水害等はない旨の事実に反した報告(昭和三四年二月一一日付外務省宛プナウ植民地募集要項)をし、海協連はこれを資料として本件募集要領書を作成した。その結果、控訴人らはプナウ植民地を農業適地であると誤信して移住を決意したのであるから、大谷は海協連の事業の執行につき、控訴人らに対し不法行為をしたものであつて、大谷の使用者である海協連は、控訴人らに対し、民法七一五条により、控訴人らが被つた損害を賠償する責任がある。

3  さきに引用した請求原因六のうち原判決一〇枚目―記録五五丁―裏一〇行目「右大谷」以下原判決一一枚目―記録五六丁―表初行までを削る。

4  後記被控訴人主張の二2(一)、(二)の事実のうち、控訴人宮崎忠太郎が、被控訴人主張のパラグアイへの移住手続を行つたこと、その主張どおりの理由によりこれを断念したこと、及び同控訴人の四男が、主張の農業実務講習に参加したことの各事実は認めるが、右講習は、控訴人宮崎がプナウ移住を決定した後に実施されたもので、プナウ移住の募集に応ずるか否かを決するについては何ら寄与するものではなかつたうえ、その内容においても、僅か延三日間の形式的なもので、移住者のための実のある親身なものではなかつた。

5  さきに引用した抗弁に対する答弁(原判決二六枚目―記録七一丁―表一〇行目)を次のとおり改める。

被控訴人が、昭和四九年六月三日の原審第四〇回口頭弁論期日において、消滅時効を援用した事実を認め、その余の主張を争う。本件不法行為に基づく控訴人らの被害は、同人らが帰国するまでの間継続していたものであり、しかも、当時の状況に照らすと控訴人らは、帰国が現実のものとなるまでは、本件不法行為に基づく客観的な損害を知ることはできなかつたものというべきである。従つて、控訴人らの、本件損害賠償請求権の消滅時効は、控訴人らが帰国した昭和四〇年八月九日をもつて起算すべきである。

二  被控訴代理人は次のとおり述べた。

1  一1(一)、(二)控訴人の主張の各事実は認める。

2  一2(一)の控訴人らの主張に対し、次のとおり主張する。

(一)  控訴人宮崎忠太郎は、昭和三三年六月ころから「昭和三三年度パラグアイ国クラム植民地自営開拓移住」の手続を行つており、更に、同年一〇月渡航資金調達不能のため、パラグアイ移住を断念してからは、ブラジルへの移住を強く希望するようになり、そのための準備を行つていたものであつて、同控訴人がブラジル移住を決意した時期は、本件プナウ植民地への移住についての募集要領を読んだ後のことではない。

(二)  海協連は、昭和三一年八月ころ農林省が定めた「農業移住者募集選考及び実務講習実施要領」に従い、プナウ移住者を対象として、昭和三四年一一月二日から同月四日までの間、福岡県経営伝習農場において、農業実務講習を実施した。控訴人宮崎は右講習を受ける機会を与えられながら参加せず、同控訴人の四男が受講した。

(三)  プナウ植民地の低地は、泥炭土(主として多少腐植化した植物残体が自然に集積してできた土壌で、その有機物含量が五〇パーセントを下らないもの)による泥炭地(排水後二〇センチメートル以上の厚さのある泥炭土を次々被覆された土地)ではなく、その土壌は黒泥土(泥炭土と生成を同じくし、有機物含量は五〇パーセント以上ではあるが、植物を識別することができない程度に分解が進んでいて植物残体を認めないもの。なお、砂土、粘土等を多量に含み、有機物含量五〇パーセント以下のものを亜泥炭という)である。黒泥土は、決して農業に適さない土壌ではない。また、泥炭地であつても、排水、酸性矯正、客土等適切な管理によつて、耕作適地とすることが可能である。プナウ植民地のバナナなどが枯れた原因は、土壌にあるのではなく、雑草の害によるものである。

3  一2(二)の控訴人らの主張事実中、大谷が、海協連の被用者(リオデジャネイロ支部長)であつたことは認めるが、その余はすべて争う。

本件募集要領書中の、プナウ植民地の自然条件についての記載は、農林技官杉頴夫作成の調査報告書の記載を引用したものであつて、大谷が作成した資料のうち、本件募集要領書に採用されたのは入植条件に関する部分のみである。従つて、大谷が作成した資料中のプナウ植民地の自然条件に関する記載と、控訴人らの移住の意思決定との間には、何ら因果関係は存在しない。

4  一5の控訴人らの主張事実中、控訴人黒崎が帰国した日が昭和四〇年八月九日であることは認めるが、控訴人宮崎が帰国したのは昭和四〇年八月一四日である。その余の主張はすべて争う。

三  〈証拠省略〉

理由

一次の事実は、当事者間に争いがない。

1  控訴人黒崎は、東京都足立区本木三丁目二六一二番地において、家具類の製造業に従事していたところ、昭和三四年、海協連がブラジル国リオ・グランデ・ド・ノルテ州(以下、「ノルテ州」という。)トーロス郡所在のプナウ植民地への移住者を募集していることを知り、東京都海外協会から、海協連発行の本件募集要領書の交付を受け、その内容によつて、プナウ植民地が農業適地であると判断して同植民地への移住を決意し、東京都海外協会を経由して海協連に対し、プナウ植民地への移住申込をなし、同年八月中旬ころ、海協連から合格の通知を受けた。

2  控訴人宮崎は、長崎県壱岐島で、妻トシ、長男辰蔵とともに、山林樹苗業に従事し、選定者トヨ(控訴人宮崎の長女)及び選定者フジ子(控訴人宮崎の次女)は、控訴人宮崎の次男午輔方の住込店員として、選定者弥一郎(控訴人宮崎の四男)は鉄工所の工員としてそれぞれ稼働していた。

控訴人宮崎は、昭和三四年四月ころ、海協連が、プナウ植民地への移住者を募集していることを知り、長崎県海外協会から本件募集要領書の交付を受け、その内容から、プナウ植民地が農業適地であると判断して同植民地への移住を決意し、本件募集要領書の要求する世帯構成に従い、当時別世帯であつた、選定者フジ子、同トヨ、同弥一郎らとともに同一世帯を構成したうえ、海協連に対して、プナウ植民地への移住申込をなし、同年一〇月ころ、海協連から合格の通知を受けた。

3  本件募集要領書には次のとおりの記載がある。

募集者 自営開拓農三〇世帯

植民地経営者 リオ・グランデ・ド・ノルテ州政府

入植条件 一世帯に低地(米作及び蔬菜栽培地)7.5町歩、高地(特殊農作物栽培、小家畜飼育、住宅用地)4.5町歩、合計一二町歩の土地を、二年間据置八年払いの条件で払い下げる予定

地質 低地は有機質に富む黒色の沖積土で土層三メートルから五メートル。高地は砂質土壌で肥沃でない。

土地の利用と営農計画 低地は一二か月の周年生産を企図し、第一に排水(必要に応じ灌概も考える。)、次いで排水後の酸性の改良、化学肥料、特にリン酸、カリの施用が望ましい。低地7.5町歩のうち、五町歩を米作にあて、これを営農の根幹とする。他の低地では、バナナ、蔬菜、豆を栽培する。高地では、ココヤシ、パイナツプルを栽培し、鶏、豚等を飼育する。

その他 幹線排水路は一応完成しており、乾期には灌漑の用をなす。支線排水路は、各世帯が掘ることになる。風水害等については、特記すべきものはない。

4  控訴人らは、海協連の指示に基づき、所有の財産を処分して、農業用機械器具類、作業衣等を購入し、移住支度費、携行資金を調達のうえ、控訴人黒崎は第一次入植者として、家族四人とともに、昭和三四年一〇月二日ぶらじる丸で神戸港を出港し、同年一一月七日プナウ植民地に入植した。控訴人宮崎は、選定者フジ子、同トヨ、同弥一郎ら六人の家族とともに、第二次入植者として、同年一二月二日、あふりか丸で神戸港を出港し、翌三五年一月一五日プナウ植民地に入植した。

5  昭和三七年三月一四日、プナウ植民地の経営主体が、ノルテ州から、ピオ一二世財団に変更され、同財団は、控訴人ら入植者に対し入植条件を、一世帯当り、低地及び高地各五町歩を、譲渡禁止の条件付で贈与することに変更し、結局、本件募集要領書に記載された入植条件は実現されなかつた。控訴人らが、帰国した昭和四〇年八月までに、右贈与は履行されず、控訴人らは、事実上低地五町歩の無償使用を許されていたに過ぎなかつた。

6  被控訴人は、昭和四九年八月一日同年法律第六二号に基づいて設立された特殊法人であり、その設立と同時に解散した事業団の権利義務一切を承継した。事業団は、昭和三八年七月一五日同年法律第一二四号に基づいて設立された特殊法人であり、その設立と同時に解散した海協連及び日本海外移住振興株式会社の権利義務の一切を承継した。

二控訴人らは、海協連が、本件募集要領書をもつて、プナウ植民地の移住者を募集し、控訴人らがこれに応募したのに対し、合格通知をなしたことにより、控訴人らと海協連との間に、海協連は、控訴人らとノルテ州との間で、本件募集要領書記載のとおりの内容の入植条件でノルテ州政府との間で入植契約を成立させる債務を負い、控訴人らは、プナウ植民地に入植して営農する債務を負うことを内容とする移住契約が成立し、本件募集要領書記載のとおりの農地を入植者である控訴人らに割当てる債務が発生した旨主張するので先ずこの点について判断する。

1  海協連が、その寄附行為において、移住受入団体との連絡、提携、移住者の募集、選考、訓練、講習、輸送、定着、渡航費の貸付等の指導援助をすることを目的とする団体であり、右目的のために海外移住地の調査、選定をなし、それに基づいて募集要領等を作成し、これを配布して移住希望者の募集、選考等の業務を行つていたことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実と、前叙一の当事者間に争いのない事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

海協連は、その目的である海外移住者の募集業務として、本件募集要領書によつてプナウ植民地移住者の募集をした。右募集は、ノルテ州政府の経営にかかるプナウ植民地につき、入植希望者を海協連において選考のうえ、合格者を植民地経営者に斡旋することを主たる内容としてなされたもので、本件募集要領書にも、植民地の経営者がノルテ州政府であること、海協連において選考のうえ合格者を決定すること、出国までの間に海協連において実務講習を実施することのほかは、移住者の資格、入植条件、渡航費、携行資金、携行品、入植地区の概況について記載しているのみで、合格者に対して海協連が負担すべき義務については何らの記載もなく、応募者の義務としても、入植に当り負うべき義務として、前記携行資金、携行品について記載し、ブラジル国の法令を遵守すべきことを記載しているのみで、応募ないしは合格によつて直接負担すべき義務について何らの記載もなされていない。控訴人も本件募集要領書の記載の趣旨に従つて応募した。海協連は、海外移住者のうち、渡航費の貸付けを受ける者との間で、移住者契約書に基づいて、海協連は移住者がブラジル国サントス港においてJAMIC・リオデジャネイロ移住斡旋部に引渡されるまでの間、移住者の保護、斡旋につき一切保護する責任を負うこと、神戸港からサントス港までの間の船賃は海協連が移住者に貸付けること、移住者が神戸出港後JAMIC・リオデジャネイロ移住斡旋部に引渡されるまでの間に、移住者の責に帰することができない理由で入植不可能となつた場合には、海協連はその送還について一切の責任を負うことを合意し、控訴人らも海協連との間で右の合意をしている。

以上の事実のほか、証拠を検討しても、控訴人らが、プナウ植民地移住に関し、海協連との間に特段の契約をしているものと認めることはできないし、右認定に反する証拠はない。

そこで、右認定した事実に基づいて判断すると、海協連が本件募集要領書によつてなした、海外(プナウ植民地)移住者の募集は、ノルテ州政府において、プナウ植民地の入植者を募集していることを一般に周知させるとともに、入植希望者のうち適格者を、海協連において、植民地経営者であるノルテ州に斡旋し、そのための一定の援助、便宜を供与しようとするものであり、その結果、海協連は合格通知者に対して、右援助、便宜供与の点を除くと、合格者とノルテ州政府との間で、同政府経営のプナウ植民地に入植することの合意が成立するよう斡旋する義務を負うものであるが、それ以上に、控訴人らが主張するように、本件募集要領書記載のとおりの入植条件を実現させるべき義務まで負うものと認めることはできない。すなわち、本件募集要領書記載の入植条件は、植民地経営者であるノルテ州政府が、入植者を募集するに当つて提示した条件であることは、本件募集要領書の記載自体及び海協連の業務の性質上明らかなところであり、その条件の履行義務は、控訴人らと海協連との間に、その履行義務について特段の約定のない限り、経営者であるノルテ州政府にあるといわなければならない。右特約の認められないことは既に判示したとおりであり、控訴人らが、海協連の斡旋により、ノルテ州政府経営にかかるプナウ植民地に入植したことは弁論の全趣旨に照らし明らかなところである。

してみると、右判示の趣旨と異なり、海協連が控訴人らに対し、本件募集要領書記載の入植条件のとおりの入植を実現させるべき移住契約及びこれに基づく義務があることを前提とする控訴人らの債務不履行の主張は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

三次に、不法行為の主張について判断する。

控訴人らは、本件募集要領書中入植条件に関する記載は、第一に払下げ耕地の地積、払下げの条件(以下「払下げの条件」という。)の点において、第二に耕地の土壌その他農業経営上の条件の点において事実と異なる不実の記載であり、右は、海協連の代表機関において十分な調査をしなかつた過失によりなされたもので、控訴人らは、右不実の記載を信じた結果移住を決意し、よつて損害を蒙つた旨主張する。

1  そこで、先ず耕地払下げの条件に関する点について判断する。

本件募集要領書に、入植条件として「入植者一世帯に対し一二町歩の土地(おおむね低地7.5町歩、高地約4.5町歩)が、長期支払い(二年据置、八年払いの予定)で払下げられる」旨の記載のあることは当事者間に争いのない事実であり、〈証拠〉によると次の事実を認めることができる。

ノルテ州政府は、植民地経営の目的をもつて、昭和三三年中に、私有地であつたプナウ植民地用地を買取つてその所有とし、本件募集要領書が作成、公布された昭和三四年当時においては同州政府の所有であつた。同州政府は、植民地の経営をすすめるに当り、各入植者に対し、一世帯当り低地7.5ヘクタール、高地4.5ヘクタール合計一二ヘクタールを、長期支払い(二年据置、八年年賦の予定)により払下げる計画を樹て、ブラジル国移植民院(INIC)総裁に右計画の許可申請をなすと共に、プナウ植民地所長であるアントニオ・コ・エリヨ・マルタ(以下「マルタ」という。)を通じて、当時松原安太郎特許人コンセッショナリオ(ブラジル移植民審議会からブラジルに特別に移住者を導入する特許を与えられた者)の代理人でかつ海協連リオデジャネイロ支部長(駐在事務所主任)であつた大谷に、右植民地経営のため、前記計画を示して、日本人入植者の導入につき協力を求めた。大谷は、右計画を検討のうえ、信頼し得るものと判断してこれを駐ブラジル日本大使館に伝え、同大使館から一等書記官藤勝周平によつて、日本の外務省に報告されたが、同報告書にも入植地の払下げについては、一世帯当り低地(パウル)7.5ヘクタール、高地(丘地)4.5ヘクタールを割当てる計画である旨記載されていた。本件募集要領書中の耕地払下げの条件についての前記記載は、以上の経過及び報告に基づいて作成された。ところが、その後、植民地経営担当者において、入植対象土地を実測し、区画割りをなした結果、当初計画した地積と相異し、かつ耕地不適地を生じたため、右計画のとおり割当てを実施し得ない結果となり、控訴人らが入植した際も、低地五ヘクタールの割当て(無償使用許可)がなされたに過ぎなかつた。更に、昭和三六年一月九日に、ピオ一二世財団が設立されて、プナウ植民地の対象土地はノルテ州政府から、同財団に贈与され、同財団によつてプナウ植民地が経営されることになり、同財団は、同財団の経営方針に反する者が入植することを防止するため、耕地払下げの方針を変更し、無償で永久に使用を認めることとした。以上の結果、控訴人らは、本件募集要領書記載の耕地の払下げ条件と著しく異り、プナウ植民地を退植するまで、低地五ヘクタールを無償で使用することを認められたにすぎなかつた。

以上のとおり認められ、〈証拠判断略〉。

以上認定した事実に基づいて判断すると、本件募集要領書に記載された、入植地(耕地)払下げについての条件は、ノルテ州政府によつて示された計画に基づいてこれを記載したものであり、本件募集要領書作成の当時から、控訴人らが入植した時までの間において、右払下げの条件がノルテ州政府によつて変更されたものと認めるに足りる証拠はなく、仮にそのような変更があつたとしても、海協連においてこれを知り、或は知り得たと認めるに足りる証拠はない。右の計画が州政府機関によつて作成され、その名において示されたものである以上、その真実性を疑うべき特段の事情があれば格別(そのような事情があつたものと認めるに足りる証拠は見当らない)、これを募集の条件として募集要領書に掲記したことをもつて不実の記載をなしたものということはできないし、事実の調査義務を怠つた過失があるということもできない。

よつて、耕地払下げの条件の記載についての不法行為の主張は、理由がない。

2  続いて、払下げの条件を除くその余の入植条件の記載について判断する。

本件募集要領書に、地質につき、低地は有機質に富む黒色の沖積土で、土層三メートルから五メートル、高地は砂質土壌で肥沃でない、旨の記載があること、土地の利用と営農計画につき、低地は一二か月の周年生産を企図し、第一に排水(必要に応じ灌概も考える)、次いで排水後の酸性の改良、化学肥料、特にリン酸、カリの施用が望ましい。低地7.5町歩のうち、五町歩を米作にあて、これを営農の根幹とする。他の低地ではバナナ、疏菜、豆を栽培する。高地では、ココヤシ、パイナップルを栽培し、鶏、豚等を飼育する、旨の記載があること、排水等につき幹線排水路は一応完成しており、乾期には灌概の用をなす。支線排水路は各成世帯が掘ることになる。風水害等については特記すべきものはない、旨の記載があることは当事者間に争いがなく、前顕甲第一号証(植民地移住者募集要領)によると、入植地の土壌につき、PH5ないし5.5である旨の記載があることが認められる。

そこで、右記載につき、プナウ入植地の実際の状況についてみるに、〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

(一)  地質について

プナウ植民地の土壌は、均質でなく、性質の異つた土壌が入り組んで分布しているが、(イ) 表層において粘土(日本農学会法による。)3.3ないし7.7パーセントを含む砂土(現地で「アスレコ」とよばれている)、(ロ) 腐植を一七パーセント、粘土を四三パーセント含み第四層に至るまで有機物を五〇パーセント以上含む層がない(現地で「白バウ」と呼ばれている)、(ハ) 表層において腐植を四三ないし四六パーセント、粘土を二四パーセント程度含有し、塩基置換容量、置換性石灰及び加里含有量がかなり多い、下層には黒泥層を有している(現地で「黒バウA」とよばれている)、(ニ) 黒泥土で、表層において腐植を五三ないし六三パーセント含有している。鉱物質を三〇ないし四〇パーセント含有している(現地で「黒バウB」とよばれている)の大むね四種の土壌からなつており、うち白バウは最も農耕に適しているが、全体に占める面積の率は低い。全体的に無機分に乏しく、酸性が強いため、耕作のためには、相当多量の化学肥料を施用し、石灰等による酸性の改良を必要とする。主として腐植部分から成るため乾期には乾燥して凝縮して地表が沈下するが、年々沈下するものではない。

(二)  排水路について

控訴人らが入植した当時、植民地経営者によつて幹線排水路が設置されていた。入植地の低地は、全体的に起伏が多く必ずしも一様ではないが、総体的に低湿地であり、土壌の主たる組成が、前記認定のとおり腐植から成つているため極めて水分を含み易く、幹線排水路の放水口であるフォンセッカ河と入植地の高低差が少ないうえ、同河の河巾が狭く、水深が浅いため排水効果が十分ないなどの理由で、一時に多量の降雨があると冠水し易く、支線排水路の開設も容易でなかつた。

(三)  風水害について

プナウ入植地は、通常、おおむね三月から七月までが雨期(冬期)とされるが、その時期は前後にずれることが稀でなく、雨期の長い年は一月ころから年末ころまで降雨をみる年もある。雨期には浸水の害の少ない米作を、乾期には、浸水の害を受け易い疏菜類を栽培するに適している。その判断を誤ると浸水の害を被り、雨期がずれることによりその被害を被ることになる。雨期においては、耕地の高低等によつて、その程度に差はあるけれども、例年のように一メートルないし三〇センチメートル程度の冠水を生ずるが、通常は数日をもつて旧に復する。控訴人らが入植した昭和三五年雨期には、当地において一六年振りといわれる程の多量の降雨があり、昭和三九年の雨期にも多量の降雨があり、農作物に著しい損害を与えた。

(四)  営農について

入植地においては、雨期には米作、乾期には疏菜類の栽培をなすのを基本とし、他にバナナが植栽後早期に収穫が得られ、安全確実な作物として栽培に適する。疏菜類としては、キャベツ、トマト、ニンジン、ピーマン、メロン等が栽培に適し、浸水の害を受けることなく、適切な栽培をなせば、中程度以上の収量を得ることができ、市場の需要と合するときは、相当に高い収益をあげることができる。しかし、前記土壌の性質、排水の条件、雨期の変動等のため、安定した収穫を得るためには、これに対応するための土壌の選定、改良、施肥、栽培作物の選定等これに対応するための工夫、努力、経験及び技術が要求される。生産物を売却するための市場は、主たる市場である首都ナタールまで約八六キロメートルとやや遠隔地にあり、トラック輸送で約三時間を要する点に難があつたが、道路の改修によりその距離が六〇キロメートルに短縮されることが見込まれる状態にあり、レシーフエル市場が開設されるなど、特に著しい支障があつたものとは認められない。

(五)  控訴人らを除く他の入植者の営農の実際について

プナウ植民地には、昭和三四年一一月に控訴人黒崎、椎木、北山の三家族、昭和三五年一月に控訴人宮崎、二宮、東川内(弟)、山崎、篠崎、草野の六家族、昭和三六年二月に長海、佐藤、東川内(兄)、下村の四家族、合計一三家族が入植し、区画割りした耕地(ロツテ)を抽せんにより割当てられた。

北山末義は、入植時に三ヘクタールの耕地を割当てられ、その全部に米作を試みたが0.3ヘクタールについて約三〇俵近くの収穫を得たのみで他は全く収穫がなかつた。続いて、約二ヘクタールの耕地に稲を作付けして籾で六トンの収穫を得、続く乾期の七月にメロン0.3ヘクタール、八月にトマト0.2ヘクタール、ジエムリン0.3ヘクタール、キャベツ0.3ヘクタールを栽培し中程度の収穫を得た。同人は、プナウ植民地と環境が似ているピウン植民地の稲の作付状況を観察し、栽培方法を工夫すると共に良質の種子を播くなどして次の稲作においてはまずまずの収益をあげることができた。その他バナナ、ゴヤバ、ココヤシ、カジューを植栽してそれぞれ収穫を得ている。同人は、昭和四〇年に一〇ヘクタールの土地を、昭和四四年には低地七ヘクタール、丘地八ヘクタールの土地を割当てられ、昭和四六年二月一〇日(原審における証人尋問を受けた日)当時において、特に生活に困難を感ずることなく耕作を続けており、そのまま耕作を続けて、二人の子が学業を終えてからレシーフエに移つて養鶏を営む計画でいる。

東川内俊男は、入植後最初の雨期に、割当てを受けた五ヘクタール全部の土地に稲作を試み、うち0.5ヘクタールの土地から二五俵の収穫があつたが、他は三〇センチ程度しか生育せず収穫が得られなかつた。続いてバナナを植え、バナナの間に最初九六〇本のメロンを植えて三六トンを収穫し、更に一八〇〇本のメロンを植えたが冬季にかかつたため収穫が得られなかつた。他に砂糖大根、ニンジン、トマト、キャベツ、キュウリを栽培して、ニンジンは浸水のため収穫皆無となつたが他は平均以上の収穫を得た。(但し砂糖大根は品種の選定を誤つたため売却できなかつた)。同人はプナウ植民地に二〇か月生活し、バナナの収穫期を迎えたが、植民地内の生産の低い他の入植者により植民地内の雰囲気が悪くなり、人間関係にわずらわしさを感じたためと、同人は入植前に家畜の人工授精技師をしており、広い土地で家畜を飼育する計画でいたところ、耕地の割当てが狭く、拡張される見込みがなかつたこと及び雨の被害が大きいと考えたため、アラゴアス州ウニオン・ドス・パルマレスに移転し、その後三回移転を繰り返したうえ、昭和四一年九月以降ペルナンブコ州のリオ・ボニート植民地で営農し、満足している。

椎木貞利は、入植時一八番ロツテの一ヘクタールを受け取り米作を試みたが失敗し、植民地責任者と交渉して土地を一二番ロツテの五ヘクタールに変えて貰い、その一部で稲とメロンを栽培し収穫をあげることができた。昭和三五年に籾一五〇〇キロを収穫し、他にメロン、トマト、キャベツを栽培して良好な結果を得た。昭和三六年には米三トン、昭和三七年、三八年には各米二トン、バナナ二〇万本、昭和三九年には米3.6トン、バナナ二〇万本、昭和四〇年には米三トン、バナナ二〇万本の収穫を得た。昭和四五年には二〇〇〇本のバナナから一〇万本のバナナを得たほか、一五トンのメロン、三トンのトマトを収穫した。土地は、昭和四三年に五ヘクタールが追加割当てとなり、昭和四一年に低地七ヘクタール、高地六ヘクタールが割当てられることになつた。同人は、その子達が農業を続ける意思を持たないため、レシーフエの近くに土地を求めて移りたいと考えている。

他の入植者のうち、二宮武雄は農業及び農業技術指導員の経験があり、ピウン入植地の技術を学ぶなど意欲的に取り組んだが、他の入植者から、余り生産をあげずに他の者と歩調を合せるべきだと言われるなど、入植地の人間関係を嫌つたためと、降雨による浸水のため、将来性に危惧を感じたことから、入植した翌年のはじめに転耕を決意し、その後ペルナンブーコ州カルピーナ郡ラゴア・デ・カーロに一五ヘクタールの土地を所有し、昭和四三年三月現在において、農業に従事している。篠崎永滋は、当初は浸水等で失敗を重ねたが、次第に入植地の気象等にも馴れて収穫をあげるようになつていた。しかし、耕地(四番ロツテ)の使用に関し、稲の播種後控訴人黒崎から異議が申出られ、これに同調する者があつてその収穫が出来ない結果に至るなどしたため、入植地の人間関係を嫌い、同時にブラジルにおける農業の特質をのみ込み、他に条件のよいところがあると考えて昭和四〇年ころ、二宮武雄の耕地に移り、昭和四三年三月現在において、これを借りて農業を営んでいる。山崎正則は、割当てられた五ヘクタールの土地の半分の土地を使用して(他の半分は耕作に適さなかつた)主として疏菜類を栽培し、負債を残さない程度の生活を続けて五年間を過したが、時によると負債を負うに至る危険を感じて転耕を決意し、ペルナンブーコ州リオ・ボニート植民地に転じて昭和四三年四月現在において農耕に従事している。長海勝四郎は、プナウ植民地では、割当てられた五ヘクタールの土地全部を使用して稲、疏菜類を栽培していたが、収穫が十分でないこと、余力があつて更に広い土地が欲しかつたこと、土地の所有権が欲しかつたことから、昭和四〇年半ばころにリオ・ボニート植民地に転耕して昭和四三年四月現在において、農業に従事しているが、プナウ植民地にとどまつていた方がよかつたと考えている。下村長春は、最初の二年位は土壌の性質がのみ込めず、浸水もあり失敗を繰り返したが次第に失敗することもなくなり、特にバナナを植栽して収穫をあげ生活の支えとした。しかし、プナウでの農業に先細りの感じを持ち、負債が生じて動けなくなることを怖れ、控訴人らが帰国することを知つて一時帰国を決意したが翻意し、ペルナンブーコ州カーボ植民地に転じて養鶏を主体として農業に従事し、二、三年後に農業をやめてレシーフエに移住したうえ昭和四六年五月にブラジル移住を断念して帰国した。佐藤寅雄は、プナウ植民地でも、生活を維持していくことには困らないが、土地が狭いため将来性がないと考え、プナウ植民地で五年農業に従事したのち、前記カーボ植民地に移住した。

(六)  控訴人らの営農について

控訴人ら両名は、入植後、他の入植者同様に先ず稲作を試み、続く乾期には疏菜類の栽培を試みたが、いずれも他の入植者の平均以下の収穫しかあげることができなかつた。その後、両名とも、成績のあがらないのは耕地の条件によるものと考え、植民地責任者に申し出て三回にわたり耕地を変えたが同じようにその成績は良くなかつた。

控訴人宮崎は、入植前農業経験もあり、携行した農機具も、他の多くの入植者にない自動耕耘機などを携行し、労働力も入植者中最も多く、携行資金も多かつたうえ、入植に当つては積極的な意欲もあつたが、他の平均以上の成績をあげていた入植者に比して着実な努力と、現地の土壌の特性、耕地の条件等に適応した耕作を工夫する点に欠け、家族の労働力を結集することも十分でなく、一貫した営農方針に欠けていたため営農の成績が良くなく、開拓意欲を失うに至つた。

控訴人黒崎は、ブラジルに移住する前は東京都足立区で家具製造業を営んでいた者であり、学業終了後一七、八才まで、家業の農業に従事したことがあつた程度で農業の経験が十分でなく(移住申込書には一六年の農業経験があると記載されている)、家族も、同控訴人夫婦のほか入植当時一六才の長女、九才の二女、六才の三女があるのみで、農耕に専従できるのは控訴人黒崎と長女のほかになく、控訴人が意欲を失い、妻は幼児に手をとられるため、専ら長女が農耕に従事する程度であつた。控訴人黒崎は、農業、特に土壌に対する知識が不十分であるうえ、労働意欲も不足しており、自ら申出て選定した耕地も、農耕に適する土地よりも自宅に近い土地を選定し、他の入植者に比して現実に耕作した土地の面積が著しく狭いなど、耕作に対する意欲も工夫も欠けていた。そのため、営農の成績は他の入植者に比して概して最も低かつた。

以上のとおり認められ〈る。〉

以上の事実関係のもとにおいて、地質に関する部分の記載を除けば、その余の記載内容においては特に事実に反する部分はないというべきである。すなわち、〈証拠〉によると、本件募集要領書には、前記記載について当事者間に争いがない事実のほか、ナタール市の統計資料に基づいて年間(昭和三一年中)の月別、一日最大降雨量及び昭和二六年から昭和三〇年まで五か年間の年間降雨量が記載され、また入植地及びその周囲の状況につき、「地区説明図」をもつて説明がなされていることが認められるのであり、本件募集要領書の全体を通じて理解するならば、プナウ入植地が低湿地であつて、降雨による影響を被り易いことは窺い知れるところというべきであつて、前記認定の入植地の実情と、記載とは特に相異するということはできない。

そこで地質に関する記載についてみるに、本件募集要領書には、前記争いのない事実のとおり、土層三メートルないし五メートルの黒色の沖積土である旨の記載がなされているにかかわらず、実際の地質は前叙のとおりであるところ、一般に、地質が、営農において気象条件と共に最も重要な要素を成すものであり、入植希望者にとつて、募集要領書が、入植地の実情を知るための重要な資料であることを考えるならば、地質に関する本件募集要領書の記載は、正確性において及び必要事項の記載の点において欠けるというべきである。

しかしながら、〈証拠〉を総合すると、プナウ植民地に日本人入植者を受け入れる計画は、これより先の昭和二九年に、ノルテ州政府により開設されたピウン植民地に日本人家族を入植させたところ、浸水、地質に慣れないため等により、当初は失敗しながらもこれに適応し、良好な結果を得るに至つたところから、ピウン植民地とプナウ植民地が地質、土壌、排水の点において極めて似ており、市場までの距離がピウン植民地に比してプナウ植民地の方が遠いという不利な条件はあるが、ピウン植民地では、低地の割当てが2.5ヘクタールに過ぎないところプナウ植民地ではこれに比して広い7.5ヘクタールの土地の割当てが可能であり、土壌の風化が進んでいるなど有利な条件もあるため、十分入植が可能であるとの植民地経営者並びに海協連が判断し、右判断のもとに本件募集が行われたこと、本件募集要領書にもその趣旨でピウン入植者の営農の結果が記載されていること、本件入植者の募集は、既開設の農耕地を前提とするものではなく、開拓者を求めるものであつて、本件募集要領書にも、開拓意欲が旺盛であることを条件としていることが認められるのであり、これらの事実と、既に認定した事実、すなわちプナウ入植地においても、控訴人両名の家族を除く他の入植者は、必ずしも十分満足すべき成績を得ていたとはいえないまでも、概して中程度以上の成績を収めていたこと、これら入植者が、北山末義を除いて、プナウ植民地を出て他に移つた原因も、区々であつて必ずしも同一ではないが、主として、入植地における人間関係が円滑を欠いたこと、及び浸水の被害が大きかつたこと、他により条件の良好な入植地があると判断したこと等によるもので、プナウ植民地の地質が農耕に適さないことによるものとは認められないこと、控訴人両名がプナウ入植地に適応し得なかつた原因が既に認定したとおりであり、通常開拓者の期待し得る程度の農耕経験、開拓意欲、努力等に不足していたことの各事実を考え併せると、本件募集要領書中の地質に関する記載の欠陥が、控訴人両名の入植地に適応し得なかつたことの原因をなしたものとは認め難い。

四控訴人らは、募集要領書によるほか、説明会を開くなどして、より詳細な資料を提供すべきである旨主張する。主張のとおりなすことが、募集事業として、より望ましいことであることはいうまでもないところであるが、本件募集要領書の記載をもつて、募集条件を知らしめるために必要な条項を欠いているということはできず、右のような情報提供をあわせてしなかつたからといつて直ちに不法行為に該るということはできない。

五以上のとおりであるから、控訴人両名の請求は、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却するほかはない。

よつて、原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却すべく、控訴費用の負担につき、同法九五条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(園部秀信 村岡二郎 川上正俊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例